白根仏壇には、伝統と技を引き継いだ証
としてマークがはってあります。
江戸時代中期の元禄年間に、宮大工の初代長井林右エ門が京都方面からその技術、技法を取り入れて京形の仏壇をつくり、さらにそ自分の手で簡単な彫刻を施し「白木仏壇」を完成させました。これが「白根仏壇」の始まりと伝えられており、天明年間には、白根独特の技術技法が生み出され、木地、彫刻、金具、塗箔、蒔絵の5部門に分業化し、完全な産地形成が確立されました。
なお、現在残されている記録には、安政3年より東北、北海道方面へ販路を開拓し、明治中期には「白根仏壇同業組合」を組成したとされており、このような先人の努力の積み重ねによって、いよいよ全国にその名声を高め、大正、昭和の隆盛期へと移行、昭和50年「白根仏壇協同組合」を設立、同55年、「伝統的工芸品」として通商産業大臣の指定を受け、300年の輝かしい伝統は今に生きづいているのです。
白根仏壇は、300年の歴史と伝統に培かわれ、洗練され、そして育まれた高度な技術、技法が用いられ、しかも全工程を手作業でつくられる伝統仏壇です。
木地は、桧、姫小松、杉、欅、桜など特に良質な材料が用いられ、主要部分は柄組でつくられており、しかも、仏壇の生命ともいわれている宮殿(屋根)は、寺院の内陣宮殿を縮小したもので、各宗派によってそれぞれ異なり、いずれも豪華な仕上がりとなっています。
宮殿は、「平桝形」という独特な技法が用いられ、桝組の小部分まですべて柄組みつくりで、解体により破損や痛みを生じないため、数回の洗濯も可能で100年、200年後においても新品同様に再生することができます。
塗装、蒔絵はいずれも本漆、本金箔、本金彩を用いており、永久に変色することなく、300年の伝統に培われた美術的工芸品仏壇として荘厳、優美な品格を備えています。